本覚坊遺文2006年09月10日 08時00分57秒


何年ぶりかで「本覚坊遺文」(井上靖 著)を読み返しました。

千利休の自刃から数年後。
利休の弟子であった三井寺の本覚坊(実在した人物)による回想という形で、利休と周辺の人物を描き出した作品です。

井上氏はこれより数年前に書かれた短編「利休の死」で、秀吉に対する利休の視線を書いていますが、基本的にその解釈を踏襲した上で、しかし利休を直接は描かず本覚坊に語らせる事により、二者の対立の根本的な要因として存在したであろうもの・・・権力の光輝に鎧われた俗物の醜さと、丸腰ではあるが高い境地に到達した精神の美しさ・・・とでもいうものを一層際立たせています。

そして利休、織部、宗二、江雪斎、有楽斎、秀吉、東陽坊、本覚坊自身も含め、登場人物全てが向かう、収束された一点にあるのは、ただ「死」のみ。
この作品の、静謐で清らかで厳しい美しさの源は、この一点にこそあると思われます。

終盤、本覚坊の夢の情景として描かれる、秀吉と利休の最後の会話。
その凄みといったら・・・。
ここは何度読んでも鳥肌が立つほどで、いまさらながら作者の力量にひれ伏す思いです。

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