WaveLab 11 ― 2023年06月01日 15時24分40秒
休講 ― 2023年06月02日 13時12分37秒
大雨警報が出たので今日の授業は休講になってしまった。残念・・。
この人の記事はデイリーらしくて楽しそうで良い ― 2023年06月03日 05時31分45秒
チャペルアワー ― 2023年06月04日 14時52分47秒
現在、同志社女子大学で私が担当している授業は2講時と3講時なので、少し早めに到着して 10:35 〜 10:55 に行われる礼拝(チャペルアワー)には毎回出席するようにしています。
何度も書いたと思いますが、私はクリスチャンではありませんし、無神論者(・・というか、神、造物主などの絶対的、超越的存在に対しては「不可知論」の立場を保つ者)です。
しかしながら、創立者である新島襄の理念・思想・信念と、それを伝え守り育んだ人々に対する尊敬の気持ちと、現代では珍しいであろう清らかな校風の教育機関で、私のように縁のなかった者が教員として貢献できる事への感謝の気持から、そして、この教育機関をこのように在らしめている根本の原理には(特に全くの部外者であった自分などは)常に触れていなければならない、という思いから、礼拝へは真剣に、心を整えて出席するようにしています。
礼拝の後、引用された聖書の言葉を調べなおす時は、大抵このサイトのお世話になっています。
http://bible.salterrae.net/
何度も書いたと思いますが、私はクリスチャンではありませんし、無神論者(・・というか、神、造物主などの絶対的、超越的存在に対しては「不可知論」の立場を保つ者)です。
しかしながら、創立者である新島襄の理念・思想・信念と、それを伝え守り育んだ人々に対する尊敬の気持ちと、現代では珍しいであろう清らかな校風の教育機関で、私のように縁のなかった者が教員として貢献できる事への感謝の気持から、そして、この教育機関をこのように在らしめている根本の原理には(特に全くの部外者であった自分などは)常に触れていなければならない、という思いから、礼拝へは真剣に、心を整えて出席するようにしています。
礼拝の後、引用された聖書の言葉を調べなおす時は、大抵このサイトのお世話になっています。
http://bible.salterrae.net/
Portacapture X6 ― 2023年06月05日 23時00分00秒
藤本健のDigital Audio Laboratory
『アプデで32bit float対応USBオーディオに!? TASCAMレコーダの新機能を試す』
https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1505932.html
『アプデで32bit float対応USBオーディオに!? TASCAMレコーダの新機能を試す』
https://av.watch.impress.co.jp/docs/series/dal/1505932.html
IRISH HARP ― 2023年06月06日 05時49分19秒
藤本健の"DTMステーション"
『Native Instrumentsがハープ音源、IRISH HARPを発表。7月3日までサマーギフトとして無償配布中』
https://www.dtmstation.com/archives/61392.html
『Native Instrumentsがハープ音源、IRISH HARPを発表。7月3日までサマーギフトとして無償配布中』
https://www.dtmstation.com/archives/61392.html
時間は実在しない ― 2023年06月07日 00時00分00秒
ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』の物語終盤で、シッダールタが旧友ゴーヴィンダに「時間は実在しない」と教え諭すのですが、20代の頃はそれが理解出来なくて、とてももどかしい思いをしました。
もちろん今でも完全に解ったわけではないですが、そこそこ年齢を重ねると、自分なりに納得のいく解釈ができるようになる・・なった・・んじゃないかな・・と思います。
人は、今現在を認識する事しかできません。
過去や未来という概念が存在するだけで、過去や未来を実感することなどできないのです。
誰にとっても「今、此処、私」以外はありえないのですから、我々・・昭和半ばに生まれた人間にとってはやや浅薄に感じる『今を大切にしたい』という考え方は、決して(ええ、決して・・)間違っていないと思います。
ただし「今、此処、私」だけに意識の焦点を合わせているのであれば、それは我侭な子供じみた単なる刹那主義にすぎません。
何時に於ける自分も
何処に有っての自分も
誰にとっての今も・・
・・同じ様に大切なのですから「今、此処、私」と同時に「何時でも、何処でも、誰でも」という普遍性を合わせ持った考え方でなければならないと思うのです。
==========
約20年前に書いた文章を加筆訂正して再掲しました。
『「今を大切に」は悪くはないけど 』
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/01/20/5633835
もちろん今でも完全に解ったわけではないですが、そこそこ年齢を重ねると、自分なりに納得のいく解釈ができるようになる・・なった・・んじゃないかな・・と思います。
人は、今現在を認識する事しかできません。
過去や未来という概念が存在するだけで、過去や未来を実感することなどできないのです。
誰にとっても「今、此処、私」以外はありえないのですから、我々・・昭和半ばに生まれた人間にとってはやや浅薄に感じる『今を大切にしたい』という考え方は、決して(ええ、決して・・)間違っていないと思います。
ただし「今、此処、私」だけに意識の焦点を合わせているのであれば、それは我侭な子供じみた単なる刹那主義にすぎません。
何時に於ける自分も
何処に有っての自分も
誰にとっての今も・・
・・同じ様に大切なのですから「今、此処、私」と同時に「何時でも、何処でも、誰でも」という普遍性を合わせ持った考え方でなければならないと思うのです。
==========
約20年前に書いた文章を加筆訂正して再掲しました。
『「今を大切に」は悪くはないけど 』
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/01/20/5633835
これから先、人間たちは何を大切に生きていけばいいんだろう? ― 2023年06月08日 00時00分00秒
『芸術はものすごく、生きることの役に立ってる』
https://www.1101.com/n/s/geisai2022/2022-11-16.html
本文から引用 〜〜
で、AIなどの進歩も別に悪いことを
しているわけじゃないですからね。
おそらく人が生きていくにあたっては、
そういった技術の発達も、
霊性の部分も、どちらも必要ですから、
両方は組み合わさっていくものだと思います。
〜〜 引用終わり
https://www.1101.com/n/s/geisai2022/2022-11-16.html
本文から引用 〜〜
で、AIなどの進歩も別に悪いことを
しているわけじゃないですからね。
おそらく人が生きていくにあたっては、
そういった技術の発達も、
霊性の部分も、どちらも必要ですから、
両方は組み合わさっていくものだと思います。
〜〜 引用終わり
リチャード・バック ― 2023年06月09日 00時00分00秒
またヘッセ関連のお話ですが・・
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』を読み返していて、ふと思った事がありました。
米国の作家リチャード・バックの有名な作品『カモメのジョナサン』は、ヘッセ『ガラス玉演技』の童話風リメイクだったのではないか・・と。
それに関して調べてもいませんし、何の確信もありませんが、ふと、そのように思ったのです。
リチャード・バックの青年期には、米国の、特に反社会的自由思想を信奉する若者、いわゆるヒッピームーブメントに関わった人々の間でヘッセが熱狂的に読まれ支持されました。
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』と、リチャード・バック『カモメのジョナサン』。この2つの作品を同列に論じる様な事はしたくないのですが、私には非常に判り易いと思える共通点があるように思うのです。
・俗世と隔絶された場所に極めて高い精神性を追求する共同体があり、そこに於いて非常に優れた指導者となる者の人生を描く物語
・女性が(主要な役割としては)全く出てこない
・精神的完成に近付いた者は、その状態を表す表現として「光り輝く」
先に、同列に論じる様な事はしたくない、と書きましたが、それは、私がリチャード・バックを好きではないからです。
『カモメのジョナサン』と『イリュージョン』を読みました。
作者がどのような思想を信奉しているかは何となく解りますし、その思想には、私の愛するヘッセ文学の精神性にも通ずる、美しく尊い永遠なるものへの憧憬が含まれているという事も感じ取れます。
しかし、リチャード・バックの作品からは、カルト宗教団体のような、ある種の「いかがわしさ」が感じられてなりません。
『カモメのジョナサン』の訳者 五木寛之は、解説でこの作品を批判的に評しています。
その解説に若い頃の私は反発を感じました。が、その頃よりは物事を多面的に考えられる様になった現在、訳者の批評には一々頷けるように思うのです。
*初出:2003.11.13(加筆訂正して再掲)
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/11/13/5633573
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』を読み返していて、ふと思った事がありました。
米国の作家リチャード・バックの有名な作品『カモメのジョナサン』は、ヘッセ『ガラス玉演技』の童話風リメイクだったのではないか・・と。
それに関して調べてもいませんし、何の確信もありませんが、ふと、そのように思ったのです。
リチャード・バックの青年期には、米国の、特に反社会的自由思想を信奉する若者、いわゆるヒッピームーブメントに関わった人々の間でヘッセが熱狂的に読まれ支持されました。
ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』と、リチャード・バック『カモメのジョナサン』。この2つの作品を同列に論じる様な事はしたくないのですが、私には非常に判り易いと思える共通点があるように思うのです。
・俗世と隔絶された場所に極めて高い精神性を追求する共同体があり、そこに於いて非常に優れた指導者となる者の人生を描く物語
・女性が(主要な役割としては)全く出てこない
・精神的完成に近付いた者は、その状態を表す表現として「光り輝く」
先に、同列に論じる様な事はしたくない、と書きましたが、それは、私がリチャード・バックを好きではないからです。
『カモメのジョナサン』と『イリュージョン』を読みました。
作者がどのような思想を信奉しているかは何となく解りますし、その思想には、私の愛するヘッセ文学の精神性にも通ずる、美しく尊い永遠なるものへの憧憬が含まれているという事も感じ取れます。
しかし、リチャード・バックの作品からは、カルト宗教団体のような、ある種の「いかがわしさ」が感じられてなりません。
『カモメのジョナサン』の訳者 五木寛之は、解説でこの作品を批判的に評しています。
その解説に若い頃の私は反発を感じました。が、その頃よりは物事を多面的に考えられる様になった現在、訳者の批評には一々頷けるように思うのです。
*初出:2003.11.13(加筆訂正して再掲)
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/11/13/5633573
ZOOM S6 SessionTrak ― 2023年06月10日 00時00分00秒
藤本健の"DTMステーション"
『PC、オーディオIFなしで最大6人でネット越しのリモートセッションができるS6 SessionTrakの実力』
https://www.dtmstation.com/archives/60620.html
『PC、オーディオIFなしで最大6人でネット越しのリモートセッションができるS6 SessionTrakの実力』
https://www.dtmstation.com/archives/60620.html