スリップウェア2006年09月16日 13時25分36秒


大阪日本民芸館、行ってきました!

『日本のスリップウェア〜よみがえる英国古陶の美』
 SLIPWARE IN JAPAN
http://www.mingeikan-osaka.or.jp/event.htm

18世紀頃、英国の有名な陶工達によって作られていた、装飾の多い絵柄の飾り皿が原型。
後に縞や抽象紋など、より簡素な模様の日常の雑器として、名もない一般の陶工達の手で数多く作られたが、磁器が大量生産され始めた産業革命以後、全く顧みられなくなってしまった器。

この美を見出し、蘇らせたのは、民芸運動の創始者、柳宗悦、濱田庄司、富本憲吉、河井寛次郎、等と、当時日本に留学中だったバーナード・リーチでした。
(この辺の話は、邂逅、運命、などを感じさせて、実に良いのです・・・)

そもそものきっかけは、1913年、富本憲吉が洋書店で見つけた「Quaint Old English Pottery(古風な英国陶器)」という、スリップウェアの器種や技法が詳しく解説された本だったそうです。
高価な本なので値切ったけれども、さすがにダメ。(丸善ですからね)
前金だけ払って本を入手した富本は、残金を支払う為に友人のバーナード・リーチから金を借ります。
リーチが「金は貸すから先に読ませろ」と言うので、翌日奈良に帰ってゆっくり読むつもりだった富本は予定変更を余儀なくされ、仕方なくリーチと顔突き合わせて夢中になって読みふけったそうです。

同じ本を、柳宗悦も買って読んでおり、濱田庄司もまた、富本憲吉の家で読んだのをきっかけに、渡英後スリップウェアの原型である飾り皿の写しを焼いています。
そして英国滞在中、近所の家に招かれた際に見た、単純な縞模様のパイ皿・・・製法や素材は本に解説されている飾り皿のスリップウェアと同じでも、それらとは全く異なる素朴な日常の雑器・・・濱田庄司がこのパイ皿に出会った瞬間こそ、スリップウェアを遠く離れた日本で蘇らせる事となった、その運命が動き出した瞬間と言って良いでしょう。
濱田庄司は以後、飾り皿よりもパイ皿タイプの方を研究しはじめます。
そして1924年に帰国し、ロンドンの骨董屋などで収集した数枚を河井寛次郎に見せました。

〜 河井寛次郎の談 〜 
「(写真では)なんか十二指腸虫みたいなもので、想像つかなかった。けどね、現物を見て驚いたよ。これはたいした魅力だったね」
(芸術新潮2004.4 英国スリップウェア物語 より)

英国では、トーマス・トフトなど有名な陶工の銘がある飾り皿(通称トフトウェア)は珍重されますが、このパイ皿のような素朴なスリップウェアは殆ど顧みられなかったそうです。
しかし現在日本でスリップウェアとして愛されているのは、濱田庄司が見いだし、河井寛次郎によって世に紹介された、このパイ皿タイプです。
最近では評価を逆輸入する形で、英国でもこのスリップウェアが見直されているとの事でした。


ところで
私がなぜこんなにスリップウェアを好きになったか・・自分でもよくわかりません。
日本の茶器に通じる「渋い」美しさと、素朴な暖かさの不思議な共存が、その魅力の中心ではあります。
しかし、所謂、芸術家の「お作品」という感じでは全くないのが・・・それが良いのかもしれません。
今年の5月に初めて見た、ボアズ・ヘッドと呼ばれる縞模様の、無銘の古い英国製スリップウェアと向き合った瞬間、波長が合ってしまいました。

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「これは英国の雑器である。オオヴン等に入れ料理したまま卓上に置くのである。皿と鍋とを兼ね備えている。底の黒光りははげしい労働の歴史である。トフト等の飾皿がその起りであって、見るものから用いるものへと降りたのが是等の皿である。それ故更に見るものとして美しくなったのだとそう解いていいであろう。用への誠は品物を美しくさせる。(後略)」
「挿絵小註」柳宗悦(『工藝』第25号 1941年)より

 用への誠は品物を美しくさせる

まさにそれ。
この美しさは「用への誠」。
だからこそ、私のような門外漢にも、これほどまでに迫ってくるのだと思うのです。