井上靖(3) ― 2008年01月04日 12時08分10秒
井上靖は歴史を徹底的に調べる中で見つけた(あまり知られていない人物)や(なにかひっかかる物)をとりあげて小説の中心に据えるのが得意です。
「天平の甍」で、鑑真和尚を日本に招請した日本の学僧、普照 は唐招提寺の古い記録にその名があるそうですし、「敦煌」の越行徳も、敦煌の石窟から実際に発見された寄進録を元に、イメージを膨らませて作り上げた主人公だそうです。
『ここに大量の教典を隠した人物に何があって、何を思ったのか』
そう考える所からあの壮大なスケールの作品が生まれたのでしょう。
晩年の名著「孔子」に取りかかっていた頃、癌の手術をした際、集中治療室内で無意識の井上靖は、うわごとで(仁)の思想に関する講議を延々と続けたとか。
いかにも井上靖らしいエピソードです。
「孔子」出版後しばらくして再発した癌によって亡くなる時、その最後の言葉は
「人が死ぬというのはこういう事なんだね。
・・・・に(中国の古い文献らしいが不明)こういう場面が書かれている。
後で調べておきなさい」
というようなものだったそうです。
(残念ながら本が手元に無いので、正確な引用ではありません)
井上靖(2) ― 2008年01月04日 12時08分37秒
娯楽時代小説は娯楽として文句なく面白いです。
ある有名な時代小説作家は「チャンバラの書き方を井上氏から学んだ」と言っているほどですから、その道の専門の作家が読んでも面白かったのでしょう。
しかし同じ戦国時代を扱っても、日本歴史物(と私が分類する)「天目山の雲」では武田四郎勝頼と家臣たちの運命は重く悲劇的に、そして気高く描かれています。
日本歴史物を描く時は前述の(遠い時間フィルター)がやや薄く、読者が感情移入し易いダイナミックな描き方ですが、それでも井上靖特有の抑制がしっかり効いています。
特に破滅へ向かう人物の心理描写では「天目山の雲」(武田勝頼)、「天正十年元旦」(明智光秀)が絶品。
井上靖(1) ― 2008年01月04日 12時09分31秒
井上文学はいくつかのジャンルに分ける事が出来ます。
大きく分けて シルクロード物、日本歴史物、現代小説、娯楽時代小説、自伝物といった所でしょう。
殆どの作品を読みましたが、やはり一番は 歴史、シルクロード物。
有名な「孔子」「天平の甍」「敦煌」「桜蘭」「蒼き狼」「風涛」「楊貴妃伝」等、本当に素晴らしく特にお勧めです。
井上靖は歴史物の主人公を描く時、読者との間に、ある隔たりを設けている様に感じます。
人間的に泣いたり喚いたりする様子を(遠い時間)というフィルターによって濾過してしまい、人間の意志と行動だけが伝わってくる、極めて硬質な文体です。
ある批評家は「岩のような文体」と評しました。
が、映画化されてしまうと主人公が泣いたり喚いたりするので、私はいつもガッカリ(笑)
緒方拳が大黒屋光太夫を演じた「おろしゃ国酔夢單」や、奥田瑛二の「本覚坊遺文」は、まあ許せました。
さて、これが現代小説では、実に豊かな心理描写や、ごくたまに上品で知的なユーモアもちりばめられています。
ややシリアスな物で「化石」「星と祭」「花壇」「氷壁」
軽めで「黒い蝶」「四角な船」「夜の声」
スピーディな展開で一気に読ませる「射程」「闘牛」
心に沁みる「ある偽作家の生涯」「澄賢房覚え書」
等がお勧め。
近年テレビドラマ化された「氷壁」、映画化された「澄賢房覚え書」は、見てはいけません。
あんなものは全くの別物。
井上靖原作とは書かないでもらいたいくらい。
冒涜です。