リチャード・バック2023年06月09日 00時00分00秒

 またヘッセ関連のお話ですが・・
 ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』を読み返していて、ふと思った事がありました。
 米国の作家リチャード・バックの有名な作品『カモメのジョナサン』は、ヘッセ『ガラス玉演技』の童話風リメイクだったのではないか・・と。
 それに関して調べてもいませんし、何の確信もありませんが、ふと、そのように思ったのです。
 リチャード・バックの青年期には、米国の、特に反社会的自由思想を信奉する若者、いわゆるヒッピームーブメントに関わった人々の間でヘッセが熱狂的に読まれ支持されました。
 ヘルマン・ヘッセ『ガラス玉演技』と、リチャード・バック『カモメのジョナサン』。この2つの作品を同列に論じる様な事はしたくないのですが、私には非常に判り易いと思える共通点があるように思うのです。
・俗世と隔絶された場所に極めて高い精神性を追求する共同体があり、そこに於いて非常に優れた指導者となる者の人生を描く物語
・女性が(主要な役割としては)全く出てこない
・精神的完成に近付いた者は、その状態を表す表現として「光り輝く」
 先に、同列に論じる様な事はしたくない、と書きましたが、それは、私がリチャード・バックを好きではないからです。
 『カモメのジョナサン』と『イリュージョン』を読みました。
 作者がどのような思想を信奉しているかは何となく解りますし、その思想には、私の愛するヘッセ文学の精神性にも通ずる、美しく尊い永遠なるものへの憧憬が含まれているという事も感じ取れます。
 しかし、リチャード・バックの作品からは、カルト宗教団体のような、ある種の「いかがわしさ」が感じられてなりません。
 『カモメのジョナサン』の訳者 五木寛之は、解説でこの作品を批判的に評しています。
 その解説に若い頃の私は反発を感じました。が、その頃よりは物事を多面的に考えられる様になった現在、訳者の批評には一々頷けるように思うのです。

*初出:2003.11.13(加筆訂正して再掲)
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/11/13/5633573

時間は実在しない2023年06月07日 00時00分00秒

 ヘルマン・ヘッセ『シッダールタ』の物語終盤で、シッダールタが旧友ゴーヴィンダに「時間は実在しない」と教え諭すのですが、20代の頃はそれが理解出来なくて、とてももどかしい思いをしました。
 もちろん今でも完全に解ったわけではないですが、そこそこ年齢を重ねると、自分なりに納得のいく解釈ができるようになる・・なった・・んじゃないかな・・と思います。

 人は、今現在を認識する事しかできません。
 過去や未来という概念が存在するだけで、過去や未来を実感することなどできないのです。
 誰にとっても「今、此処、私」以外はありえないのですから、我々・・昭和半ばに生まれた人間にとってはやや浅薄に感じる『今を大切にしたい』という考え方は、決して(ええ、決して・・)間違っていないと思います。

 ただし「今、此処、私」だけに意識の焦点を合わせているのであれば、それは我侭な子供じみた単なる刹那主義にすぎません。

 何時に於ける自分も
 何処に有っての自分も
 誰にとっての今も・・

 ・・同じ様に大切なのですから「今、此処、私」と同時に「何時でも、何処でも、誰でも」という普遍性を合わせ持った考え方でなければならないと思うのです。

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約20年前に書いた文章を加筆訂正して再掲しました。
『「今を大切に」は悪くはないけど 』
https://kato-masaharu.asablo.jp/blog/2003/01/20/5633835

ヘルマン・ヘッセ2023年05月15日 00時00分00秒

Das Glasperlenspiel(『ガラス玉演技』または『ガラス玉遊戯』)に関して書かれ、公開されているものを、また一つ見つけました。

注)使用環境によってはクリックと同時にPDFファイルがダウンロードされます
https://onl.bz/EU6ZNS1

古い日記から・・2023年04月13日 00時00分00秒

*古い日記から ― 2003年03月05日

 昨日は寝床で読書三昧。もう大丈夫、今日は起き上がっています。差し迫った仕事は無いので休んでいても良いのですが、性分と言いますか2日も寝ていられません。
 昨日は終日寝床で読書三昧でした。
 立原正秋の「冬のかたみに」「舞の家」を久しぶりに読み返して思うのは、もうこの先、こういう作家、こういう文学が世に出る事は無いだろうという事・・・。立原正秋が流行作家でもあったという事実は、優れた文学が大衆のレベルを引き上げていた、と言う事でもあります。
 当時の文学愛好家は「美」に対する正確な視線(立原風な表現です・・)を備えていた、または身に付けていった、と言えましょう。
 この様な役割を、稚拙な情痴小説を乱造する昨今の流行作家には望むべくもありません。
 大衆に迎合すると文化は堕落衰退します。不遜を承知であえて言いますが、文化人は作品によって大衆を教育せねばなりません。

老人と海2022年06月10日 00時00分00秒

ほぼ日の学校長だより
『老人と海』を新訳で読む』
https://www.1101.com/gakkou_ml/2020-07-09.html

井上靖 関連の記事2022年05月07日 00時00分00秒

『井上靖 愛用した湯飲み茶碗に秘められた思い 生誕の地・旭川に展示』
https://onl.tw/pLUfFtf

Pearls2021年09月26日 14時41分23秒

 ランニングしながら音楽をランダム選曲で聴いている時、Sade(シャーデー)の「Pearls」という曲が再生されると、いつも心がしんとなって、何か、立ち止まって祈らなければならないような気持ちになります。
 歌詞の内容を詳しく知らなかった頃から、既にそうでした。
 優れた音楽家の表現力とは凄いものですね。

 歌詞の対訳も紹介したいと思って、あれこれ検索しましたが、この方の紹介の仕方、ほんの短い文章から感じられる思いの深さが、私の気持ちと最も近いように思われたので、勝手ながらリンクを記載させていただきます。
https://hakotokyoku.blogspot.com/2012/03/pearls-sade.html

立原正秋に関して2021年02月27日 11時06分57秒

私も立原正秋の作品は殆ど読んでいるので、この文章は楽しめました。

『吉本ばななも激賞! 全女性を熱狂させた立原文学の傑作!』
https://pdmagazine.jp/people/tachihara-masaaki/

習慣2020年12月16日 15時44分22秒

『Lesson989 やりつづけるチカラ』
https://www.1101.com/essay/2020-12-16.html

これは同感。
私は幼少期から、自分で行うと決めたことは必ず行い、それに関して自分に嘘をつかないようにしているので(・・まあ、これはナルシシズムの類なのかもしれません・・。自分はこうであるべきという、理想に適った状態でありつづけたいから・・)三日坊主になって自己嫌悪・・とかの嫌な自己否定感情とは無縁ですが、なるほど確かに「いつやるか」を決めているという点は、この著者と同じです。

電子文藝館「冬のかたみに」2020年11月06日 06時46分23秒

日本ペンクラブ 電子文藝館
「冬のかたみに」
http://bungeikan.jp/domestic/detail/468/